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敬。

 

小学生の頃、先生には敬語を使いなさい、と教えられた。

先生は偉い人だ、という教育的刷り込みがあったのだと思う。

もちろん尊敬できる先生もいたが、そうではない先生も同じくらいいた。

 

高校生になり、校内に学園紛争、尊敬の価値観は変わった。

過激になった私たちは、先生もおじさん、くらいの距離感で

教師を見つめることになった。教育を背景に威張っていた教師は、

驚くほど大人しくなった。先生からすれば、呆れてものも言えない、

ほとんど諦めの境地に達していたのかもしれない。

 

ただ成長期に仕込まれたものは、根本的には捨てきれない。

部活動で強要された先輩への礼儀、言葉づかいは、

年上、年配者への態度として、自分の中に強く残った。

だから、社会へ出てからも尊敬できる先輩には、

それなりの言葉づかいをしてきた(つもりだ)。

 

緊急事態発令以来、家に籠もりながら、報道番組の日々が続いている。

政治家、議員、コメンテーターが、安倍首相の言葉を引用して、

「総理がおっしゃっているように」「総理のご判断」

という言葉をよく聞く。が、その言葉づかいが気になってきた。

どういう気持ち、立場で使っているのか。理解できない。

総理大臣は偉い、だから敬語を使うのか。自らの尊敬の念が、

そうさせているのか。はたまた、ここにも忖度、保身があるのか。

 

そもそも総理大臣とは、一律に尊敬すべき敬語の対象なんだろうか。

総理は、公務員。市民の下僕だ、ともいう。給金は税金だ。

社会的地位から敬語を使う必要はまったくない。

 

残るは、人として尊敬できる対象なのか、どうかだが。

会って話したことがないので、正確にはわからない。だが、

いまのところ、安倍晋三には、敬語を使うつもりはない。年下だしな。

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| - | 18:02 | comments(0) | - | pookmark |
巡。

 

税金では何度か痛い目にあった。

納税義務から考えれば、非は私にあったので、

そのことを蒸し返すつもりはない。

 

ただ、追徴金などの督促用紙が届いたときは、

銀行口座に残高はなく、フリーランスとして辛い思いをした。

当たり前だが、まったく容赦はなかった。

いつまでいくら振り込まないと、また追徴金。

恐怖感で、納税のために金を借りた覚えがある。

 

相当の時空は超えているが、その金が、

巡り巡って、2枚のマスクになる。

 

この循環を頭の中で繰り返している内に、腹が立ってきた。

あのときの恐怖感を、こんな簡単に使いやがるのか。

私が納めた追徴金など、訳のない額だったかもしれない。

でもその当時は、背筋に冷や汗が毎日のように走ったのだ。

 

集めるは、鬼のごとし。

使うは、阿呆のごとし。

 

思い出したら、悔しさがこみ上げてきた。

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| - | 16:35 | comments(0) | - | pookmark |
目。

 

26日、小池都知事が、安倍首相を訪ね、

コロナ対策への緊急要望書を手渡した。

気がつけば、この2人、こういう事態になるまで、

オリンピックでもあまり会っている印象がない。

やはり、都知事選が禍根を残しているのか。

 

希望の党を立ち上げ、都政から国政へも注文を付け、

時の政権に圧力をかけた小池百合子。

あのときの屈辱を安倍晋三は、決して忘れていなかった。

要望書を間にした2ショット映像に、それが出た。

 

小池百合子へ注がれる、安倍晋三の「目付き」が異様だった。

首相の鋭く、冷酷な上目遣いは、

国会で見せるニヤつきとはまったく違っていた。

少なくとも私の目には、汚いモノを見る、蔑んだ目に映った。

これほど嫌われたら、おしまいだろう。

政治の話ではない。人と人の、話だ。

一国の首相というより、一人の人間としての深く、強い怒り。

その凄まじさに、寒気を感じた。

 

忖度。ひと言で片付けるが、その裏には、

この容赦ない目付き、冷たい怒りが、あったのか。

従わなければ、一生、浮かび上がれない。

出世もない。生きてもいけない。

(わかってるよね)

テレビに映ってしまった、執拗な復讐心。

弱者は、忖度という武器を使うしかないのか。

 

| - | 15:33 | comments(0) | - | pookmark |
顔。

 

いつからオリンピックは、

政治家のイベントになったのだろう。

20世紀のオリンピックは、ことある毎に、

オリンピックに政治を持ち込むな、

と警鐘が鳴らされ続けてきた。

 

わかりやすい例が、モスクワオリンピックのボイコット。

政治がオリンピックに土足で入り込んだ瞬間だった。

NHKの「いだてん」でも、主人公が大会に政治を

持ち込むな、政治家にやらせるな、

と叫んでいたシーンがあったように思い出す。

書いた宮藤官九郎は、それが言いたかったのか。

 

マリオの格好をした安倍晋三が、

リオデジャネイロ五輪の閉会式に突如登場した。

大手代理店のイベントとしてはインパクトが

あったかもしれないが、

あのとき、オリンピックは、死んだのかもしれない。

 

政治家とは、何でも政治に利用する生き物だ。

それは、自民、共産、関係ない。そういうものなのだ。

だから政治家は、政治だけやっていればいい。

他のことに顔を突っ込むとろくなことにならない。

そのことを自ら承知している政治家が、

いまの日本に何人いるのか。

 

延期を勝ち取ったのは、私の手柄だ。

ほら、聖火ランナーも決められた通りに走れるでしょ。

そう成果を強調し、恩着せがましくしている顔は、

みんな政治家の顔をしていた。

 

私にとっては2度目のオリンピックになるが、

なぜか、いまだに気持ちが乗らないでいる。

世界市民の祭典、と信じていた小学生の私と、

現実を知ったいまの私の間に、

黒くてどんよりとした川が流れている。

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| - | 12:09 | comments(0) | - | pookmark |
裏。

 

THE ROLLING STONESのアルバムも出てきた。

このレーコードはジャケットの「絵」で買った記憶がある。

なんともかわいいケーキの「表面」だが「裏面」を見ると、

ケーキは崩されレコード盤へ落下、レコード盤も割れている。

LET IT BLEEDのアートワークは、当時も話題になった。

パーティの始まる前と終わったあと、

そんなイメージを最初は持ったが、改めて深掘りしたくなった。

 

アルバムの1曲目、GIMME SHELTERの歌詞にその鍵がある。

と、これからは私の推測。

歌詞の中にあるWAR,CHILDREN,IT’S JUST SHOT AWAY.

訳詞の資料などを自分なりに見てみると、

「戦争なんて、一発の銃撃で始まっちまう」と解釈できる。

ジャケットの「表」が平和だとすると、「裏」は戦争。

ちょっとしたことで、変わってしまうのが、

いま、世界なんだ、と。

 

曲は、アルバムタイトルにもなっているLET IT BLEEDが、

最高にいい。THE BEATLESのLET IT BEに「似せた」

と言われたが、MICKはそれを否定。偶然だよと、うそぶいた。

歌詞は、やさしい語りかけから始まり、次第にSTONESらしい

エロティックなラインへ。そして、最後はおぞましいホラーへと

変質する。まるでSTEVEN KINGの小説を読むような展開だ。

LET IT BEとタイトルは似せても、あんないい子ちゃんな詞は、

書かない、書けないぜ、と皮肉っているようにも感じる。

 

前作BEGGARS BANQUETから、このLET IT BLEEDの間には、

BRIAN JONESが脱退、死亡。

STONESの変わり目だったのかもしれない。

KEITH RICHARDが初めてYOU GOT THE SILVERで

リードボーカルをとっている。

| - | 10:55 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
年。

 

1964年、日本は東京オリンピック一色の年だったと言われる。

だが世界的にはTHE BEATLESが、花開いた年だった。

アジアの小国で行われた、前回のオリンピック。

高度経済成長、戦後復興の日本が改めて世界へ再デビューを飾る。

東京オリンピックはまさにそのシンボルだったのだが、

世界の注目は、TOKYOに向けられていたのだろうか。

オリンピックは、世界規模のスポーツの祭典だが、

ごく短い期間に集中的に行われる地域のお祭り、という気がしないでもない。

スポーツに興味のない人にとっては、なおさらだろう。

 

1964年、ケネディ暗殺の翌年に制作された、A HARD DAY’S NIGHT。

同時に映画が公開され、世界にビートルズ旋風が巻き起こった。

日本では、オリンピックの年、64年の2月に「抱きしめたい」が

デビューシングルとして発売。世界へ追いつけとばかり、

1964年、1年で急遽13枚のシングルが売り出された。

映画A HARD DAY’S NIGHTは

「ビートルズがやって来る。ヤァ!ヤァ!ヤァ!」

という妙な邦題が付けられて、公開。

収められた13曲は、すべてオリジナル。すばらしいアルバムになったが、

日本はまだ鎖国状態。音楽よりも、キャーという歓声、髪型、エレキに

報道が集中、ただうるさいだけの騒音、反社会的な物と、酷い扱いを受けた。

 

アルバムを通しては、JOHNの作品が多く、なかでも

YOU CAN’T DO THAT  I’LL BE BACKなどが、私のお気に入り。

PAULの曲は少ないが、AND I LOVE HERのメロディは、出色。

ジャケットはこれしかないと思っていたが、イギリスで発売された

オリジナルジャケットは別物。後にCDで採用されている。

 

| - | 15:11 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
天。

 

炎天下、荒川区役所の帰り道、バスに乗る気にもなれず、歩き始めた。

昼過ぎの明治通りは、クルマの排気熱と建物から吹き出すエアコン熱が

混じり合い、空気の良くないサウナにでもいるような気分になる。

それでもビルたちのつくる日陰に沿って歩くことしばし、

三ノ輪の交差点に出た。そのまま明治通りを行けば、泪橋から白鬚橋、

隅田川に辿り着く。もう一方の道は、土手通り。見ればスカイツリーが、

土手通りの向こうに白い姿を見せている。このまま行けば、吉原大門だ。

誘われるように土手通りの右側、日陰地帯を歩くと、伊勢屋が見えてきた。

天ぷらの伊勢屋、土手の伊勢屋、と言った方がいいのか。

この暑い中に天ぷらねえ、と呟きつつ、道を渡って店を覗くと、

私を見つけた仲居の女性が素早く戸を開ける。

明治22年創業の店内は、すべてが飴色の印象。

頼んだ天丼は、2,000円也。おいしくいただけたが、ややtoo much。

天ぷらとご飯を仕込んだ体は、さらに熱を持ったよう。

土手通りの次の信号を左に折れ、日の出会商店街からアサヒ会商店街へと。

この道にも、丸千葉など、良い店がいろいろとあるのだが、

真昼のこの暑さの中、それどころじゃないと、先を急ぐ。

汗は全身にまわり、まとわりつき、まるでジョギング状態。

荒川区、台東区、墨田区、当たり前だが、どの区も暑いことがわかった。

歩くことは体にいいようだが、天丼と炎天下のウォークは、

あまりおすすめできない。

| - | 10:28 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
4。

 

レコードで忘れていけないのは、裏と表があること。ここで必ず、音が一度途切れるときが来る。どんなに急いでも、盤をプレーヤーから外し、ひっくり返してまたセット。そして、盤を傷つけないように慎重に針を落とすのだから、A面とB面の間には、大きな時間の溝ができる。

好きな曲だけを聴こうとするのは、けっこうむずかしい芸当で、盤に傷を付けるという理由で憚られた。

BEATLES FOR SALEは、4作目のアルバム。写真でもわかる通り、寝床に持ち込んだとしか思えない愛撫痕がジャケットに残っていて、四隅が溶けかかっている。確かにこの4作目もよく聴いた記憶はある。ただこの頃はスピーカーが内蔵されているプレーヤーで聴いていたのかもしれない。家にカーテン付のステレオはなかったから。

ROCK AND ROLL MUSICがやたら流行ったのは、なぜだろう。日本人ロックンローラーが、カバーしやすかったからか。そもそもこの曲は知っての通り、CHUCK BERRYのカバー。オリジナルでもないのにTHE BEATLESの代名詞のようにラジオ、テレビで流されていた。日本のメディアの限界はもうこの頃から始まっていた。そのことを知っていてチョイスしたのだろうか、2年後の武道館コンサートでスタート・ナンバーに選んでいる。ただ、この時のJOHN、ライブでのヴォーカルにはやや幻滅した。

私のお気に入りは、I DON’T WANT TO SPOIL THE PARTY この曲には「パーティはそのままに」というやけに文学的?な邦題が付いている。なぜ邦題の必要があったのかは、謎だが、今でもiPhoneのプレイリストに入れて、走りながら聴いている。

B面最初のEIGHT DAYS A WEEKもいい曲なのだが、当時五月みどりが「1週間に10日来い」とお座敷調で歌っていて、人の考えることにそんなに差はないな、と大人びた印象を持ったことを覚えている。

東京が1964年のオリンピックで湧いている頃、THE BEATLESは、超過密スケジュール。そのため、アルバムのオリジナル曲は、14曲の内8曲しかない。そういう状況が影響したのか、JOHNの色彩の濃いアルバムという印象だ。

| - | 11:29 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
白。

 

LEON RUSSELL この人のことは、あまり知らなかった。初めて「観た」のは、バングラデシュコンサートだった。ねっちょい感じで「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」を歌っていたが、興味は湧かなかった。あのコンサートは、他に気になるミュージシャン盛りだくさんで、LEON RUSSELLは、やや邪魔者くらいに感じていた。

バングラデシュコンサートは、1971年8月1日に行われたが、このアルバムの曲は、1969年から70年にかけてレコーディングされている。私がLEON RUSSELLを知ったときにはすでにこのアルバムは発表されていたことになるが、買い求めたのはさていつ頃だったか。70年代も半ばになっていたかもしれない。レコードでももちろんだが、CDでもこのアルバムはよく聴いた。

SONG FOR YOUはもちろんだが、DIXIE LULLABYからROLL AWAY THE STONEまでの曲の流れが、すこぶる良く、LEON RUSSELLをまったく見直してしまった。ただ他のアルバムは持っているのか、というと、持っていない。

元来好きなタイプの音楽ではないのかもしれないが、いまはなき九段会館でのライブに行った記憶はある。杖をついて出てきたその姿は、真っ白の長髪。宗教的なイメージがほとばしっていたが、それはそう見えただけだった。

私にとっては不思議な存在のミュージシャンだが、TIGHT ROPE、THIS MASQUERADEなど、実に美しいメロディも残している。

| - | 16:03 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
2。

 

仕事場を引っ越して、9ヶ月。今年の隅田川花火は、お客を招くわけでもなく、長女のマンションで眺めていた。実に20数年ぶりのことで、一年でいちばん忙しい日が、いきなり消えた日になった。

写真のレコードは、その引っ越しの際に出てきた、捨てるタイミングを失った「コレクション」だ。レコードプレーヤーがあるわけでもない今、持っていても眺めるしかないのだが、それなりの状態で段ボールに収まっていた。

THE BEATLES’SECOND ALBUM ジャケットは、左下が破れ、底が抜けかかっている。手描き文字とセピア写真、星で作られた罫は、当時のグラフィックならではのもの。ただ、当時、セピアの写真を初めて見た(だろう)私は、陰影の濃い写真に魅せられていたのだと思う。何度も見返した結果が、ジャケット破損につながったと、妙に確信している。ELECTRIFYING BIG-BEAT PERFORMANCE BY ENGLAND’のキャッチは、まったく覚えていない。読んでも意味がわからなかったに違いない。

そしてこのレコードは、ODEON盤であることが、希少価値。14曲が収められている。だが改めてその14曲を見ると、寄せ集め感が否めない。この前に出たデビューアルバムMEET THE BEATLESの14曲に比べると、無理のある編成に見える。ただそんな知識も意識もなかった私は、一心不乱、夢中になって聴いていた。

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