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見。

 

4回目のワクチン、接種の知らせが届いた。
1回、2回、3回と、人に笑われるような速度で予約を取り、

接種を受けた。1回目の接種会場、初日だったかもしれない。

年配者ばかりだったが、誰もが初めてのワクチンに緊張気味だった。
そんな中、前の方に並んだ席から、手を振る男がいた。私の兄だ。

私よりもさらに早く予約を取ったのだろう、元気に手を振っている。

まったくそのような場ではなかったのだが、

兄弟の血は濃いということか。


ファイザー、ファイザー、モデルナは、世に言う最強の3回ではなかったか。

決して気が緩んだわけではないが、その最強の壁を乗り越えるように、

私は連休前に「陽性」反応をいただいた。

感染経路なし、熱なし、喉の痛み少々。それだけ。

風邪でもこんな軽いのは初めて、というほどのコロナだった。
結局、10日間自宅軟禁。一歩も外へ出られず、

太陽は屋上でひっそりと浴びた。軟禁者に食糧の配給があるというので、

申し込んだところ、段ボール3箱分の、いろいろが届いた。

助かった、と思う人には申し訳ないが、開封してすぐにでも、

という積極的誘惑は生まれなかった。


ワクチンを打っても、罹らないわけじゃないんです。

ワイドショウなどで幾度となく聞いた学者コメントだ。

最強の3回があったからこそ、軽く済んだ、と考えた方が幸せかもしれない。


しかし1回目から約1年、4回目の接種は迷っている。

まだ予約も取っていない。かっこよくいえば、

4回目のリアリティが浮かんでこない。

先を争うように予約した3回とは気持ちがずいぶん違っている。
改めて届いた封筒を開けて見る。4回目を受ける理由が見つかるかもしれない。

しかし書いてあるのは知らせと手順ばかり。なぜ4回目を打つのか、

打った方がよいのか、打たなければならないのか。まったく書かれていない。
そんなこと、知る必要がない。打てる人から打てば、いい。

あとが待っているのだから。そうも考えたのだが、どうも釈然としない。


ということで、4回目は、見。少し様子を見ることにした。

自分で考えればいいのだ。それくらいの自由と判断は許されるだろう。

 

| - | 17:49 | comments(0) | - | pookmark |
走。

 

2019年のエントリーから、ほぼ3年。

やっと走ることができた東京マラソン2021。

癌、手術、入院、放射線、抗癌剤、

そしてコロナ、オリンピック、ロシア侵攻。

この3年、私にも世界にも、事件が多発した。

それでも、諦めながら、走る日を待っていた。

 

体力は大丈夫か。走りは足りているか。

そもそも走るべきか。迷いながら、漂いながら、

60歳代最後のマラソンになった。

 

都庁から皇居まで、

街並みを確かめながら、一歩一歩。

記憶、痛み、別れ、笑い、友、家族、声、

さまざまなものが交差した。

最後の1キロは、まっすぐ向いて、と誓った。

走りながらの落涙は少年期以来のことだった。

 

ありがとう。

| - | 12:14 | comments(0) | - | pookmark |
T

 

Tシャツ展の「作品」が出来上がってきた。

テーマは、UPSIDE DOWN

展覧会へ「作品説明テキスト」を送ることになっていて、

 

すべてがサカサマになってしまった。

なにもかもが怪しい、息苦しい。

不安な気分は私をサカサマにする。

サカサマのサカサマは、サカサマじゃない。

All I wanna do is UPSIDE DOWN.

デザイン・久保悟(THIS WAY)

 

以上のようなことになった。

意味を着るわけじゃないので、

サカサマを楽しんでくれれば、OKなんですが。

こういう時期ではありますが、

おいでいただければ、と。

| - | 13:08 | comments(0) | - | pookmark |
逆。

 

去年はいろいろあって参加できなかったTシャツ展、

今年は参加することにした。来週23日から約2週間の開催。

ただいま制作中なので、この集合写真に私のTシャツは、

入っていない。見てのおたのしみ、というところだが、

今回のTシャツ制作のテーマ出しは、いまの気持ちが正直に出たもの、

と自己評価している。

 

いつの間にか私もずいぶん生きてきたが、

これほどヒドい世の中もないと素直に思っている。

もちろんコロナはある。こんな苦境はなかなか味わえるものではない。

全世界共通、未曾有の災害だ。去年の初めから始まり、

まだ終わりが見えてこない。マスクは身体の一部なってしまった。

こういうときこそ頼りになるのが、国だと思っていたが、

まったく、屁の役にも立っていない。この1年半、

感染対策らしきものが打ち出せていない。国も、東京も。

総理は意味不明、都知事は自己保身。不幸なのは、国民、都民だ。

笑っているのは、電通とパソナだけか。

 

とまあ、いいたいことは、山ほどある。

 

が、Tシャツ展である。

今回のデザインは、THIS WAYの久保悟さん。

ワガママを言って、協力していただいた。

7/23(14−16),24(12−14),25(16−18)は、

会場に行っています。

 

 

 

 

| - | 11:44 | comments(0) | - | pookmark |
敬。

 

小学生の頃、先生には敬語を使いなさい、と教えられた。

先生は偉い人だ、という教育的刷り込みがあったのだと思う。

もちろん尊敬できる先生もいたが、そうではない先生も同じくらいいた。

 

高校生になり、校内に学園紛争、尊敬の価値観は変わった。

過激になった私たちは、先生もおじさん、くらいの距離感で

教師を見つめることになった。教育を背景に威張っていた教師は、

驚くほど大人しくなった。先生からすれば、呆れてものも言えない、

ほとんど諦めの境地に達していたのかもしれない。

 

ただ成長期に仕込まれたものは、根本的には捨てきれない。

部活動で強要された先輩への礼儀、言葉づかいは、

年上、年配者への態度として、自分の中に強く残った。

だから、社会へ出てからも尊敬できる先輩には、

それなりの言葉づかいをしてきた(つもりだ)。

 

緊急事態発令以来、家に籠もりながら、報道番組の日々が続いている。

政治家、議員、コメンテーターが、安倍首相の言葉を引用して、

「総理がおっしゃっているように」「総理のご判断」

という言葉をよく聞く。が、その言葉づかいが気になってきた。

どういう気持ち、立場で使っているのか。理解できない。

総理大臣は偉い、だから敬語を使うのか。自らの尊敬の念が、

そうさせているのか。はたまた、ここにも忖度、保身があるのか。

 

そもそも総理大臣とは、一律に尊敬すべき敬語の対象なんだろうか。

総理は、公務員。市民の下僕だ、ともいう。給金は税金だ。

社会的地位から敬語を使う必要はまったくない。

 

残るは、人として尊敬できる対象なのか、どうかだが。

会って話したことがないので、正確にはわからない。だが、

いまのところ、安倍晋三には、敬語を使うつもりはない。年下だしな。

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| - | 18:02 | comments(0) | - | pookmark |
巡。

 

税金では何度か痛い目にあった。

納税義務から考えれば、非は私にあったので、

そのことを蒸し返すつもりはない。

 

ただ、追徴金などの督促用紙が届いたときは、

銀行口座に残高はなく、フリーランスとして辛い思いをした。

当たり前だが、まったく容赦はなかった。

いつまでいくら振り込まないと、また追徴金。

恐怖感で、納税のために金を借りた覚えがある。

 

相当の時空は超えているが、その金が、

巡り巡って、2枚のマスクになる。

 

この循環を頭の中で繰り返している内に、腹が立ってきた。

あのときの恐怖感を、こんな簡単に使いやがるのか。

私が納めた追徴金など、訳のない額だったかもしれない。

でもその当時は、背筋に冷や汗が毎日のように走ったのだ。

 

集めるは、鬼のごとし。

使うは、阿呆のごとし。

 

思い出したら、悔しさがこみ上げてきた。

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| - | 16:35 | comments(0) | - | pookmark |
目。

 

26日、小池都知事が、安倍首相を訪ね、

コロナ対策への緊急要望書を手渡した。

気がつけば、この2人、こういう事態になるまで、

オリンピックでもあまり会っている印象がない。

やはり、都知事選が禍根を残しているのか。

 

希望の党を立ち上げ、都政から国政へも注文を付け、

時の政権に圧力をかけた小池百合子。

あのときの屈辱を安倍晋三は、決して忘れていなかった。

要望書を間にした2ショット映像に、それが出た。

 

小池百合子へ注がれる、安倍晋三の「目付き」が異様だった。

首相の鋭く、冷酷な上目遣いは、

国会で見せるニヤつきとはまったく違っていた。

少なくとも私の目には、汚いモノを見る、蔑んだ目に映った。

これほど嫌われたら、おしまいだろう。

政治の話ではない。人と人の、話だ。

一国の首相というより、一人の人間としての深く、強い怒り。

その凄まじさに、寒気を感じた。

 

忖度。ひと言で片付けるが、その裏には、

この容赦ない目付き、冷たい怒りが、あったのか。

従わなければ、一生、浮かび上がれない。

出世もない。生きてもいけない。

(わかってるよね)

テレビに映ってしまった、執拗な復讐心。

弱者は、忖度という武器を使うしかないのか。

 

| - | 15:33 | comments(0) | - | pookmark |
顔。

 

いつからオリンピックは、

政治家のイベントになったのだろう。

20世紀のオリンピックは、ことある毎に、

オリンピックに政治を持ち込むな、

と警鐘が鳴らされ続けてきた。

 

わかりやすい例が、モスクワオリンピックのボイコット。

政治がオリンピックに土足で入り込んだ瞬間だった。

NHKの「いだてん」でも、主人公が大会に政治を

持ち込むな、政治家にやらせるな、

と叫んでいたシーンがあったように思い出す。

書いた宮藤官九郎は、それが言いたかったのか。

 

マリオの格好をした安倍晋三が、

リオデジャネイロ五輪の閉会式に突如登場した。

大手代理店のイベントとしてはインパクトが

あったかもしれないが、

あのとき、オリンピックは、死んだのかもしれない。

 

政治家とは、何でも政治に利用する生き物だ。

それは、自民、共産、関係ない。そういうものなのだ。

だから政治家は、政治だけやっていればいい。

他のことに顔を突っ込むとろくなことにならない。

そのことを自ら承知している政治家が、

いまの日本に何人いるのか。

 

延期を勝ち取ったのは、私の手柄だ。

ほら、聖火ランナーも決められた通りに走れるでしょ。

そう成果を強調し、恩着せがましくしている顔は、

みんな政治家の顔をしていた。

 

私にとっては2度目のオリンピックになるが、

なぜか、いまだに気持ちが乗らないでいる。

世界市民の祭典、と信じていた小学生の私と、

現実を知ったいまの私の間に、

黒くてどんよりとした川が流れている。

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| - | 12:09 | comments(0) | - | pookmark |
裏。

 

THE ROLLING STONESのアルバムも出てきた。

このレーコードはジャケットの「絵」で買った記憶がある。

なんともかわいいケーキの「表面」だが「裏面」を見ると、

ケーキは崩されレコード盤へ落下、レコード盤も割れている。

LET IT BLEEDのアートワークは、当時も話題になった。

パーティの始まる前と終わったあと、

そんなイメージを最初は持ったが、改めて深掘りしたくなった。

 

アルバムの1曲目、GIMME SHELTERの歌詞にその鍵がある。

と、これからは私の推測。

歌詞の中にあるWAR,CHILDREN,IT’S JUST SHOT AWAY.

訳詞の資料などを自分なりに見てみると、

「戦争なんて、一発の銃撃で始まっちまう」と解釈できる。

ジャケットの「表」が平和だとすると、「裏」は戦争。

ちょっとしたことで、変わってしまうのが、

いま、世界なんだ、と。

 

曲は、アルバムタイトルにもなっているLET IT BLEEDが、

最高にいい。THE BEATLESのLET IT BEに「似せた」

と言われたが、MICKはそれを否定。偶然だよと、うそぶいた。

歌詞は、やさしい語りかけから始まり、次第にSTONESらしい

エロティックなラインへ。そして、最後はおぞましいホラーへと

変質する。まるでSTEVEN KINGの小説を読むような展開だ。

LET IT BEとタイトルは似せても、あんないい子ちゃんな詞は、

書かない、書けないぜ、と皮肉っているようにも感じる。

 

前作BEGGARS BANQUETから、このLET IT BLEEDの間には、

BRIAN JONESが脱退、死亡。

STONESの変わり目だったのかもしれない。

KEITH RICHARDが初めてYOU GOT THE SILVERで

リードボーカルをとっている。

| - | 10:55 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
年。

 

1964年、日本は東京オリンピック一色の年だったと言われる。

だが世界的にはTHE BEATLESが、花開いた年だった。

アジアの小国で行われた、前回のオリンピック。

高度経済成長、戦後復興の日本が改めて世界へ再デビューを飾る。

東京オリンピックはまさにそのシンボルだったのだが、

世界の注目は、TOKYOに向けられていたのだろうか。

オリンピックは、世界規模のスポーツの祭典だが、

ごく短い期間に集中的に行われる地域のお祭り、という気がしないでもない。

スポーツに興味のない人にとっては、なおさらだろう。

 

1964年、ケネディ暗殺の翌年に制作された、A HARD DAY’S NIGHT。

同時に映画が公開され、世界にビートルズ旋風が巻き起こった。

日本では、オリンピックの年、64年の2月に「抱きしめたい」が

デビューシングルとして発売。世界へ追いつけとばかり、

1964年、1年で急遽13枚のシングルが売り出された。

映画A HARD DAY’S NIGHTは

「ビートルズがやって来る。ヤァ!ヤァ!ヤァ!」

という妙な邦題が付けられて、公開。

収められた13曲は、すべてオリジナル。すばらしいアルバムになったが、

日本はまだ鎖国状態。音楽よりも、キャーという歓声、髪型、エレキに

報道が集中、ただうるさいだけの騒音、反社会的な物と、酷い扱いを受けた。

 

アルバムを通しては、JOHNの作品が多く、なかでも

YOU CAN’T DO THAT  I’LL BE BACKなどが、私のお気に入り。

PAULの曲は少ないが、AND I LOVE HERのメロディは、出色。

ジャケットはこれしかないと思っていたが、イギリスで発売された

オリジナルジャケットは別物。後にCDで採用されている。

 

| - | 15:11 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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